【あと3日】あなたが〈正・誤・表〉展を見た方が良い理由「『なんとなく』を見る・見せる」

お知らせ

9月24日(月・祝)まで開催中の〈正・誤・表〉展、去る19日の『新潟日報』朝刊に、長文のレビューが掲載されました。その一節をご紹介します。

「同展は5部構成で計125点を展示。うち所蔵品の45点が初公開となる。『価値と評判』のエリアでは、展示回数が3回以下の“不人気” な所蔵絵画を、作品らしく見せないよう壁に立てかけた仮置きの状態で見せる。これまでの展示回数も添えてある。新潟を代表する洋画家の一人、安宅乕雄(1902~89)の「浴衣の女」は、開館時に寄贈されながら33年間公開されず、今回が初披露。逆に知名度は高くないものの何度も公開される作品もあるという。理由について『学芸員も人間なので、なんとなくとしか言えない』と(後略)」

上のコメントの中にある「なんとなく」という言葉について、もう少し説明します。

〈正・誤・表〉展の展示作品は、当館コレクションのデータをエクセルに流し込み、これまでの展示回数の多少を条件として並べ替えを行うという、機械的な処理によって選ばれました。さらに展示の順番は、それぞれの作品を受け入れた年度順にしています。これもまた機械的な処理で、「作品の取り合わせの美しさ、面白さ」といったことは、一切考えていません。可能な限り、学芸員の「なんとなく」を排除したわけです。

展覧会をつくるとなれば、どんな学芸員でも、なるべく良い作品を選んで、それを美しく、面白く並べてご覧に入れたいと考えます。例えば、同じ作家の作品が10点まとめて寄贈されている場合、そのうち代表作と言えるものはどれなのか、調べたり、考えたりします。中には「強い」作品というものがあって、その左右に何を並べてもしっくりこない、ということもあるかもしれません。あれやこれやで、どんな美術館のコレクションにも(特に、所蔵品が多ければ多いほど)「不人気」な作品は発生してしまいます。

「なんとなく」は、学芸員の不手際や、ものぐさだと思われるかもしれません(実際そういうことだってあり得ます)。でも、この言葉の意味は、ちょっと複合的なのです。一見ぼんやりしているように見える人が、実はものすごく考えているということだってあるわけです。「なんとなく」は、歴代の学芸員がつないできた努力であり、工夫の結果でもある(かもしれない)と申し上げたいと思います。二度とできない(かもしれない)実験企画〈正・誤・表〉展が、お伝えしたいことの一つです。

〈正・誤・表〉展の会期末の3日間は3連休、3日連続でイベントが続きます。明日22日(土)14時からのシリーズレクチャー第3回「美術館は外の声にどう向き合うか」の講師を務める前山裕司館長は、かなり本気で「ざっくばらんな話」を用意しているようです。面白いことをしたい。皆さんに楽しんでいただきたい。私たちはざっくばらんに、そう願っています。

http://www.ncam.jp/exhibition/4576/