館長ノート

「いだてん」から踏み切って「東郷青児展」へ着地

楽しみにしていた「いだてん」が始まりました。大河ドラマを見る習慣はないのですが、「いだてん」には「天狗倶楽部」が出るので初回は絶対見なければ、と意気込んでいました。ご覧になった方はお分かりでしょうが、天狗倶楽部は武井壮が演じる冒険小説家の押川春浪を中心にした各界のスポーツ好きが集まるバンカラ集団です。ではなぜそれが楽しみだったかというと、小杉未醒、満谷国四郎、倉田白羊らの画家がメンバーにいたからなんです。相撲好きの倉田白羊は大正3年、押川春浪と一緒に小笠原に移住するほどの仲良しです。小杉未醒は、天狗の一人針重敬喜とダブルスを組んで、テニスのトーナメントで3回も優勝しています。

天狗倶楽部はただのスポーツ愛好会ではなく、大学の運動部などにやたらと対外試合を挑みます。つまり、本気で遊び、戦った男たちだといえます。野球では、日本にプロ野球がない時代にアメリカでプロになる選手を生み、野球殿堂入りを5人も出しています。球場の外でも、旧五千円札の肖像で有名な新渡戸稲造の、野球は相手をペテンにかける「賤技なり」という明治44年の「野球害毒論」では、押川春浪は真っ向から反撃し、結局勤めていた博文社をやめることになりますが、この話は「いだてん」で出てくるかもしれません。

さて話のつながりは無理やりですが、本気の無茶苦茶ということでは東郷青児もかなりのものだと思います。戦後美術に詳しい方はご存知かもしれません。二科展の伝説の前夜祭のことです。東郷青児は二科展に注目してもらうために考えたのが、車やトラックを連ねての銀座から上野までのパレードでした。白いオープンカーの後部に上半身ヌードの女性をすわらせ、隣に東郷が座っている写真があります。昭和20年代の事ですから、よほどの覚悟と勝算がなければ銀座通りにヌードはやれないでしょう。雑誌が取材し、広く話題になります。二科展の知名度が上がったのは、東郷の戦略と本気の遊びのおかげかもしれません。

当館の「東郷青児展」では、このパレードは写真が1点紹介されているだけですが、初期のキュビスムに始まり、「東郷美人」と呼ばれるほど人気を博した、筆跡を残さない精緻な画面の絵画をまとめて見ることができます。表面のテクスチャの作り上げ方などは、実物でしか見ることができないでしょう。絵画だけでなく、本の装釘や菓子店の包装紙や容器など、馴染み深いデザインの仕事もたくさん展示されています。個人的には、東郷はデザインの仕事にも、真剣に大衆化を考え、それはパレードにもつながると思いますが、本気で、しかしスタイリッシュに取り組んでいた、そんな印象を受けました。

 

追記
SF作家で天狗倶楽部の研究者の横田順彌さんが、1月4日に亡くなられていたことが報じられました。「いだてん」放送初回の2日前のことです。この天狗倶楽部の記述のほとんどは横田さんの著作やお話しに基づきます。謹んでご冥福をお祈りします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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