阿部展也展の顔探し
阿部展也(あべのぶや)は「あべてん」、「あべてんさん」と呼ばれていました。生前の阿部展也を知る人たちが、そう呼んでいたことを覚えています。それは、亡くなられて10年以上たっていた頃のことですが、「あべてんさん」と呼んだ人たちの親しみが、会ったことのない私にも伝わってきた気がしました。
阿部展也展、「あべてんてん」と呼びたいくらいですが、の会場を歩いていると個人展とは思えないくらい多彩で、第二次大戦前から戦後にかけての昭和の美術を回顧する展覧会かと錯覚しそうになるほどです。でも、ひとたび会場にある顔、奇妙な、おかしな、不思議な顔が気になり始めたら、止まらなくなりました。
まずは、植物に潜んでいるような顔。これは植物と合体した動物の顔のようです。子どもたちに人気なのが、アトリエでイサム・ノグチが写真を何枚も撮っていたという証言もある《蛸猿》。蛸もさることながら、堂々たる鼻毛や耳毛!怪物のようなのに「こんな人いる」と、つい誰か思い浮べようとしてしまいます。
同じ1949年の《作品》は宇宙人、あるいは昔風に言えば火星人、のようですが、細かく見ると真っ赤な唇、胸の二つの丸などから、女性であることがわかります。そうなると、着飾ったなかなかの美人です。しかし、頭の上のリンゴが気になります。もし、イヴのリンゴだとすると、なにか深い意味が隠れていそうです。
子供が生まれた年に描かれた《花子》と《太郎》。でも《太郎》の迫力いっぱいの顔は、どうしても有名な太郎に見えて仕方ありません。似ている人を見つけるのも、顔探しの楽しみですから、いいことにしましょう。
60年代の抽象作品に行っても、顔探しはやめられません。たくさん並ぶ「O」という文字が横倒しになった唇のように見えてくると、もう手が付けられません。
会場で人気者の小さな立体は、つぶらなガラス玉の目と大きく抜けた口が愛らしい作品です。この子が呼びかけているように感じると、楕円形のなかに円形のある壁面の絵画が顔と口に見えてきて、みんなが「おー」と声を出しているように感じられました。高い声や低い声、いろいろな声で「おー」、「おー」。静かな展示室がにわかに賑やかになりました。そのなかには、「あべてん」さんの「おー」という声も交じっているかもしれません。
前山裕司