館長ノート

逝くひとを想う。

年末になるとニュース特番などで、今年亡くなられた功績ある方々を偲ぶコーナーが設けられたりします。美術界でも、重要な仕事をされた作家さん、美術館や評論の分野で活躍をされた方など、訃報を聞くことの多かった一年のように思います。とりわけ、私にとって、また新潟市美術館にとって大切なひとが亡くなられた一年でもありました。

8月末、当館の初代館長だった林紀一郎先生が亡くなられました。私が学芸員として働き始めたころ、画廊や美術館のオープニングでお目に掛かると、小柄ながらエネルギーあふれる熱弁がとても印象的でした。1987年だったか、「アンソニー・グリーン展」のオープン時に伺った折、作家と一緒に夜の街に繰り出し、カラオケで朗々と歌われたシャンソンの見事だったこと。驚愕したことを覚えています。
その後、私は思いがけず新潟市美術館長に就任し、改めて先生の存在の大きさを日々感じることになりました。築き上げたコレクションの充実ぶり、作品選定に際しての眼の確かさ等々、私たちは実に多くのものを先生に負っています。昨年、改修工事を終え、リニューアル・オープン前の一日、美術館協力会の総会にお招きし、講演をして頂きました。建設当時や評論家時代のエピソードをユーモアたっぷりに、また美術館への想いを熱く語られた、あっという間の一時間でした。その想いを私たちのものとして引き継ぐことを肝に銘じた夏でした。
それから僅か一年。今春開催した舟越桂展の図録をお送りしたところ、御礼とともに舟越作品の感想、彫刻の修復のことなどが綴られた長い手紙を頂きました。それが7月後半のことだったので、訃報は余りに突然でした。バトンを引き継いだ者として、もっといろいろなことをお話ししたかった、教えて頂きたかった。そんな感慨にふけったりもします。感謝。そして合掌。

もうひとり、鬼籍に入られた大切な方がいます。当館でも作品を収蔵している画家の中西夏之さんです。紫と白の細かな筆触で織られた、光のつづれ織りのような絵画です。大森のアトリエに何度か伺いましたが、その折にお聞きした、制作についての独特の詩のような、哲学のような難解な言葉が心に残っています。新年からのコレクション展「光を想う」には、追悼の意味を込め、その作品《紫・むらさきXⅢ》を展示します。キャンバスの向こうから浸透してくるような光の前に、たたずんでみてください。