館長ノート

「インポッシブル・アーキテクチャー」とスパイの話

4月7日に97歳で亡くなったジョセフ・ベルトニーという人の数奇なストーリーが、BBCに出ていました。コルシカ島生まれのフランス人で、頭が良いので情報機関に採用され、連合軍のスパイとしてナチスドイツに潜入していましたが、発覚して捕虜となり、収容所に送られます。否応なくV1、V2ロケット爆弾の開発に関わり、処刑地に運ばれる貨車から飛び降りるという、まさにサスペンス映画のような前半の人生です。

でも重要なのは戦後の仕事です。オーストラリアに渡ったベルトニーは、シドニー・オペラハウスの建設に天才技師として参加します。帆の部分を建造するために、なんと3万もの方程式を筆算で計算したそうです。

「インポッシブル・アーキテクチャー」の展示作業をしながら、シドニー・オペラハウスのことを考えていたので、開幕の日にこの話を読む偶然に驚かされました。
考えていた、というより妄想していたのは、オペラハウスのないシドニーのことです。シドニーのアイコンとして、市と切り離せないオペラハウスですが、かなりの確率でアンビルトとなるはずだったからです。

ヨーン・ウツソンのプランは、コンペティションの第一次選考で落選しました。遅れてきた審査委員長のエーロ・サーリネン が救いあげたと言われています。図面もないプラン、その結果14倍にも膨らんだ予算、伸びる工期。今ならこんな無謀なプランは、SNSで総攻撃となるのでしょうか。

ビルト/アンビルト、建つか建たないかは、さまざまな条件で決まります。ほんのわずかな運命の違いといえるかもしれません。もしサーリネンが審査員長でなかったら。もし落選案を見なかったら。ベルトニーが貨車から逃げられなかったら。現在のシドニーにあのオペラハウスはないでしょう。
あるいは、エッフェル塔。建設中にギ・ド・モーパッサンら多くの有名人たちの反対署名が新聞に掲載されました。エッフェル塔のないパリ。そんなパラレルワールドを想像してみるのはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

菊竹清訓《国立京都国際会館設計競技案、応募時の模型写真》1963年、撮影:小山孝(画像提供:早稲田大学古谷誠章研究室)

 

 

 

 

 

 

 

 

藤本壮介《べトンハラ・ウォーターフロント・センター設計競技1等案》CG画像、2012年

 

企画展「インポッシブル・アーキテクチャー」 展覧会情報はこちら